大谷明の3年半
11,845。
この数を私は一生忘れません。前回の県議選で頂いた票数です。
多くの期待に応えられるよう、3年半、誠実にひたむきに働いてきました。
私がこの3年半、肝に銘じてきたことがあります。
人の話をよく聞くということです。「なんだそんなことか」と思われるかもしれません。しかし、気づかないうちに一つの見方に固執しがちなのが人間です。
苦言を言ってくれる人、叱ってくれる人はむしろありがたい存在です。
他の考え方もあるのかと学ばせて頂けます。自分の考えや既成の考え方にとらわれず、なすべきことを冷静に正しく知ることは、よりよい未来へ進む上で、大きな勇気につながります。
素直な心でいること。
これからも大切にしていきたい私自身への教訓です。
●「自転車の大谷」と言われて。
選挙中、「本人です」というのぼり旗を立てて自転車で市内を回っていた私。
この活動はその後、非常に役立ちました。
東日本大震災の時です。
被災現場を自転車でまわり、地域の声をいち早く災害対策本部に届けました。電話が通じず、対策が遅れる状況を目の当たりにし、情報の大切さを痛感しました。
細かく避難所を回る中で、現場の問題にも直面しました。避難所生活の環境の悪さです。そこには、エコノミークラス症候群を発症する危険のある雑魚寝をしている方が多くいらっしゃいました。
私はその後の議会で、それを回避できる「ダンボールベッドの導入」を提案し、避難所生活の環境の改善が図られるよう、地域防災計画で取り入れてもらえるよう訴えました。
これからも現場をしっかり見ることで、“声なき声”にも寄り添える政治を目指したいと思います。
●「営業マンの大谷」と言われて。
私の前職は広告代理店の営業マン。
広告の仕事といっても、まずは企業の経営や事業の課題をじっくりと考えるところから始まります。それが決まって初めて、それを解決する具体的なアイディアとしての広告づくりがスタートします。
そんなビジネスが染みついている私にとって、政治の世界は特殊なものでした。
そこには、大きな目標が共有されないまま、バラバラと個別の施策や事業を慣例的に行う姿が見えました。
縦割り行政の弊害なのかもしれませんが、戦略なき戦術はビジネスではありえません。
“民間企業の当たり前”をもっと行政側にも取り入れてもらいたい。
そして一つ一つの施策や事業の根っこにある“戦略”というものを考えながら、緊張感を持って仕事をしてほしい。
その思いはこれからもずっと訴え続けたいと思います。
●「ファーストペンギンの大谷」と言われて。
この3年半で133,000部の広報紙を配りました。
20号になります。年6回以上発行してきた計算です。
地域の課題を伝える責任は、行政はもちろん政治家にもあります。日頃から“伝える努力”を続けてきました。
暑い日も雪の日も、朝の駅前での広報紙配りは私のライフワークとなりました。
その時必ず着るのがファーストペンギンジャンパー。自分を奮い立たせるジャンパーです。
ファーストペンギンとは、群れの中から勇気をもって一番先に海に飛び込むペンギンのこと。私も同じように、停滞感ある政治の世界に新しい風を吹きこむべく、チャレンジしなければなりません。